いちごの育成日記の第八話として、「葉かきと芽かき」について記事を書いていた、まさにその日に事件は起こった。
これは、わたしの懺悔の記録である。
2026年5月中旬――
わたしが手塩にかけて育ててきた、記念すべき初収穫候補。
命名『いちご1号』。

彼女は、嵐の前に死んだ。
毎日成長するいちごの実
『いちご1号』は、日に日に大きくなっていた。

わたしは、開花→受粉→落花→着果→幼果→肥大→成熟→着色という1号の一ヶ月にわたる成長をこの目で見守ってきた。1号だけを愛していた。
だが複雑な感情もあった。朝見るたびに、
「むふふ……毎日ちょっとずつ赤くなっとるな……」
という父親のような喜び。
そして、
「いや待て、重みでだいぶ垂れ下がってへんか?
これ、茎いけるんか?」
という、建築現場の足場点検みたいな不安である。

実が大きくなるにつれ、プランターの外へ、外へとせり出していく1号。
重力に魂を引かれ始めていた。
事件当日の朝、わたしは「今日明日くらいで対策しよう」と決心したばかりだった。
そう。
対策する気は、あった。
ただ、タイミングの問題だけだった。
ゲリラ豪雨でいちごが被害に
その日の昼。
わたしの住む地域を、猛烈なゲリラ豪雨が襲った。
久しぶりに見る雷。久しぶりに聞く雷鳴。
「ダダダダダダダダ!!!!」という、大粒の雨が車の屋根を殴る音。
もはや雨ではない。
空から雹が降ってきているのかと疑うレベルである。
※事実、一部地域では雹が降ったらしい。5月中旬に。
当時、1号のプランターは無防備だった。
さぞかし怖かったことだろう、これから完熟するぞって時にゲリラ豪雨なんて。

プランターは完全なる雨ざらし。
当然だ、「晴れ時々曇り」予報でわざわざプランターを屋根の下に避難するバカはいない。
その日は仕事が休みでわたしは妻と買い物に出かけていたが、ゲリラ豪雨を目の当たりにし、他の果樹の様子も気になったので家路を急いだ。
いま思うと、5月半ばにしては妙に蒸し暑い日だった。
同時に、わたしは嫌な胸騒ぎがしていた。
いちごの葉柄が折れていた
自宅に到着し、土砂降りの中プランターを屋根の下に避難させ、震える手でいちご1号の様子を確認した。
いちご1号「……。」
いちごォォォォォ!!!!!!!!
そこにはもう、わたしの知る1号の姿はなかった。

葉柄が折れていたのだ。

終わった。
こうして、わたしの2026年初収穫の夢はもろくも崩れ去った。
わたしは折れた葉柄を根本から引きちぎり、1号の人生に自ら幕を下ろした。
この日得た3つの教訓
この日、わたしは三つのことを学んだ。
- 定期的に葉を整理すること。
- 天気予報で大雨の日は屋根の下に避難させること
- 長い葉柄の先に実が成った場合はセーフティネットを張っておくこと
これらのことを念頭に置き、二度とこのような悲劇が起こらないようにしたい。
葉は、ちゃんと整理しろ
まず、わたしは約1ヶ月間、葉の整理を一切していなかった。
生やし放題。

むしろ葉の枚数が増えるたびにテンションも二乗で増えていた。
「うおおおお!!葉っぱ増えとる!!元気!!最強!!」
だが現実は違う。
葉が増えすぎると、新しく生えてくる葉は光を求めて外へ外へ伸びる。
結果、
そんな簡単なことにすら気付けなかった、未熟な自分。

親株から離れれば離れるほど間伸びして(徒長して)、茎の強度が低くなるのは小学生でもわかる話だ。
この時点で気付くべきだった。
そこに実が成る
→重みで垂れ下がる
→折れる。
今回のわたしは完全にこれだ。
植物の世界でも、過密労働はよくない。
「自然界で生きてきたんだから耐えろ」は危険思想
天気予報で、「大雨」「豪雨」「嵐」の日は植物を安全な場所に避難した方がいい。
わたしはどこかで思っていた。
「もともと自然界で自生してきた植物に、自然災害はつきもの。むしろ耐えろ。」
と。
いま思えば、かなりの危険思想だった。

あのか細いイチゴちゃんの茎からしたら、ゲリラ豪雨なんて鉄球が降り注ぐみたいなものだろう。知らんけど。
令和8年、AGIだの量子コンピュータだの言ってる時代に、昼の豪雨を朝に予測できないとは。
文明とはいったい何なのか。
まあとにかく、
このワードが見えたら避難。
これ大事。
ちなみに、いちご以外の果樹(レモン・ラズベリー・ブルーベリー)は豪雨でも普通に平気だった。
わたしのいちご1号も、おそらく嵐がなければ”DIYいちご保護”が間に合っており、今回のこのような事態にならなかったはずだ。
長い葉柄に実が成ったら、“事故る前提”で考えろ
それでも、長い葉柄の先に実が成ることはある。
「成らないようにする」のも大事だが、成った後にどうケアしていくかも考えておいた方がいい。
茎が折れないように、実を土の上に置けば支えにはなる。
確かに、そうすれば葉柄が折れることは無いだろう。
だが病気と虫が怖い。
ちなみに以前、妻が考案した天才的なギフトラッピング小袋作戦は虫対策としては超優秀だった。

だが病気までは防げない。
「この状態で吊り下げておけば完璧だ」と、そう思っていたが、まさか重さで葉柄が折れるとは想像もしていなかった。
このセーフティネットに関しては、また追々DIYしていくことにしよう。
そして、断腸の試食会へ
折れた葉柄を持ちながら、わたしは物思いにふけっていた。

葉が増えるたび、わたしは嬉しかった。
だから気づかなかった。
あの子が、光を求めて無理をしていたことに。
折れた葉柄の先で揺れる、まだ青いいちご1号は、雨よりも静かだった。
そんな悲しい詩(うた)がわたしの中に流れていた、まさにその時。
「うわおわ!!!」
1歳半の娘の声が響いた。

娘はいちごを見ると、本物でもイラストでもスーパーの広告でも、全部指差して「うわおわ!!!」と叫ぶ。
どうやら“いちご”という単語がまだ発音できないらしい。
わたしは心の中でつぶやいた。
「1号はもう…もう二度とお前に指差されることもないんだよ……。」
そうしてゴミ箱へ捨てようとした瞬間。

妻がボソッと言った。
「せっかくやし、これ食べさせてあげたら?」
これに対し、わたしは脊髄反射で反論した。
「はぁ?こんな未熟ないちご美味しいわけないやろがい!!!
不味くて逆にいちご嫌いになったらどないすんねん!!
いちごが嫌いになったこの子の人生に責任持てるんかい!!!」
わたしは全力で拒否したが、妻は「一口あげるね」と言って、水で洗ってから娘に一口食べさせてみた。
娘「うわおわ!!!」
そして娘は、我々夫婦が教えたとあるハンドサインを連発している。
「もっとちょうだい」「おかわり」というサインである。
「いや、もっと欲しいんかい!!!」
実際に食べてみた
娘の反応を見る限り、決して不味いようには思えない。
ただ、我が家の審査員(1歳児)は「砂」や「ティッシュ」にも高評価をつけることがあり、信用性はあまり高くない。
「もしや、ワンチャン…美味い、、、のか?」
わたしは娘の食べ残しをさらに半分にして、一口食べてみた。

世界広しと言えども、こんな未熟ないちごを自ら進んで食べる人間などいないだろう。
ホモ・サピエンスとはラテン語で「賢い人間」という意味だが、わたしがホモ・サピエンスに属しているかは議論の余地がある。
さて、未熟いちご1号の食感は――
生の大根。
味は――
レモンを怒らせた感じ。
柔らかさゼロ。酸味100%。
「ん゛っ、すっぱ……ペッ!!」
わたしは即座に吐き出し、水道で口をゆすいだ。
そして残りを娘へ返却。
娘「うわおわ!!パクッ」
いや、だから食うんかい!!!
フードロス削減系女子、爆誕
こうして、いちご1号は娘の胃の中へと旅立った。
悲しい。
だが不思議と、少し救われた気もした。
未熟でも、酸っぱくても、娘にとっては“自分たちで育てたいちご”だったのかもしれない。
フードロス削減を地で行く1歳児が、なぜかちょっと誇らしかった。
いちご栽培、再スタート
こうして我が家のいちご栽培は、5月中旬にして再スタートを切った。
これからどんどん蒸し暑くなる。
正直、時期的にはかなり厳しい。
それでも。
7月くらいに奇跡的に何個か収穫できることを祈りながら、今日も葉を眺めている。
今度こそ。
今度こそ、守ってみせる。
おわりに
今回わたしは、
という、冷静に考えれば園芸以前に“危機管理”として当然のことを学んだ。
だが人間という生き物は愚かなので、実際に一回やらかさないと覚えない。
たぶん昔の人類も、
みたいな失敗を積み重ねながら進化してきたのだろう。
つまり今回の敗北も、広義では人類史である。
ありがとう、いちご1号。
君の犠牲は無駄にしない。
次こそは必ず――絶対に折れない大きく甘いいちごを完成させてみせる。
第九話に続く…



すだち
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